日記と小物語
生類憐みの令
先日、
散歩をしていましたら、
向こう側から歩いてきた小型犬を散歩に連れているおばさんが、ご自身のワンちゃんに向かって、
「歩け!バカ犬が!」と急に怒鳴りました。
何事か!と振り返って見ますと、ワンちゃんがその場で、しゃがみ込んで、進みたくないよ…。
と引っ張られる紐を突っぱねている状態でした。
多分、ワンちゃんは歩き疲れたり、帰りたくない、脚か腰が痛い体調が悪い、別の犬が通った匂いで自分が歩きたくないルート、とかいろんな理由があると思います。
ペットって反抗的な口答えをするわけでもないし、可愛い以外の感情が沸かない生き物なはず。
世界で一番可愛い自分のペットに暴言を人前で吐くそのおばさんは相当、荒んだ方なんだろうな。
と、東京の闇を感じた日。
結婚って互いに見つめ合う事ではない
コクマルガラスみたいに男と女は契りを交わして結婚する
結婚と事実婚の違いは、きっと
正社員かフリーターか、または免許証が有るか無いか、のような違いで、あった方が何かと特で保障と信頼があって良いのだと思う。
生涯フリーターの私は結婚は向いてない。
愛と自由を手に入れようとしている私は結婚を選んではいけない種類である。
と言いながらすんげーイケメンがプロポーズしてきたら
「役所に行こか!」と即座にサインします。
昨日の自分に負けない
ココロが強いか弱いか?
今の私はイーブン。
または強いに4対3で勝っていた。
心理テストである。
きっと、その日による。
最近の親御さん達の方針では
「やられたらやり返せ」
らしい。
プーチンなん?
もし、私が親なら
「主張は良いが、無駄に敵を作るな、やられたら受け流せ。何かひとつ、たったひとつ自分の得意分野を持て。それが逃げ場となる。」と伝える。
鋼の心を撃ち返せ。
常に自戒のストイシズム
マイルールには固執しない。
一流ぶった三流になって単にルールに従うだけの大人になるなとも言わない。
人は考える葦である。
社会は理不尽さや、やるせない思いで溢れている。
その中で生きるには、何かを掴み取りたいなら、何かを極めたいなら、
例え、理不尽でも、やるせない思いで溢れても合わせること、忍耐する事、その中でいかに楽しんだ者勝ちになれるかが重要だからだ。
社会に、ただ抗いたいだけの人間になりたいなら、
一流ぶって、「単にルールに従う人間になるな」と一生燻っていればよい。
呼吸
音楽を聴くと物語を書きたくなり、
絵を見るとオブジェを作りたくなり、
仕事をすると日記を書きたくなり、
本を読むと点と点を繋げたくなり、
自然を見ると香りを作りたくなる。
トーキョーにきてから、いい香りが作れてない。