日記と小物語
他人の恋愛沙汰を、しゃしゃってる余裕は無い
ネットニュースで、ちょいちょい不倫の芸能人に関する記事が流れてきます。
TVを7〜8年くらい観ていないので、その女優さんが、どんな役者さんでどんな方か、さっぱり分からないので、綺麗な方だなと思いますが、「残念!」とか「悲しい!」とかいった感情がなんにも湧かず、つまんねぇニュースだな、、とひたすら跳ばしスクロールしてます。
お相手の俳優さんは、かろうじて10年以上前からTVで観た事がありますが、中途半端な男前だな、という印象しかなく、結婚してたんや、ぐらいしか感想が無く、「残念!」とか「何々ロス!」とかいった感情は無く、多分、誰も無いと思います。
よって、日本人て結構、お節介な人口が多い。
他人の恋愛沙汰をしゃしゃっていいのは、GACKTか椎名林檎クラスの恋愛マスターだけ、という法律ができてもいいのではないでしょうか。
哀れなる者たち
アジア人である私。
アジア人の中の日本人という人種である私。
私が白人社会で生活を送ると大勢の取るに足りないアジア人として扱われる。
日本に住む多くのアジア人も大勢の取るに足りないアジア人として扱われている。
白人は人生の中で、そのような疎外感や劣等感を感じる事はあるのだろうか?
きっと、どの国に行っても、「コノクニ丿ヒトハシンセツデス!」な気分だろう。
しかし、日本に住むハーフ(ミックス)は白人と言えども幼少期は疎外感を味わう事は、まだまだあるだろう。
白人にとっては、「悪気のない何気ない些細な対応だ。」と思える事柄に、アジア系を含めた有色人種が、敏感に騒ぐ心の根底にある物や背景を考慮し配慮するのが大人だと思う。
周りの機嫌を取っているような人は何も達成はしない。しかし、配慮と敬意は如何なる時も必要だ。
あらゆる立場や背景の人の心情を察する人間は深みがある。
色には、いろんな色がある。
香りには、いろんな香りがある。
深みのある香りを作りたい。
私は黄色く青白い顔をした薄っぺらい無名の日本女性だ。
配慮は、いつもズレている。
アロマ空間デザイナー kayo
ウーマンリブっぽい発言
みんなそれぞれの美しいと思う推しがいるのだから、現代にミス・コンテストは必要ないのである。
参考文献
なんやかんやダラダラ見たネットニュース
おじいちゃんおばあちゃん、私達、甘ったれな戦争を知らない子ども達で、すみません。
児童達と関わる仕事をしていると、子ども達には武器を持つ事を学ばせるよりも、貧困や環境問題、人権、エネルギー資源、経済、健康、パンデミック下での対応といった沢山の人間らしい知識と知恵を学んで欲しい。
不安定な社会のあらゆる恐怖からの自由を得る事が安全を保障する状況だと思う。
若者に恐怖を与える大人には私はなりたくない。